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本間ひろむ オフィシャルブログ

青春に捧げるメロディー

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レスリー・マッコーエンが逝った。

中2の冬、女子高生数人(父の知人の娘とその友達)が家に泊まった。うちの娘がどうしてもベイ・シティなんちゃらのコンサートに行きたいというので泊めてくれないか、と頼まれてのこと。1976年のことだ。彼女たちは確か高校2年生くらい。群馬からやって来て武道館でベイ・シティ・ローラーズを見た後、その足でわが家に来た(平日だったので学校を休んだのだ)。彼女たちはタータン・チェックがそこここに付いた服を着ていた(レコードジャケットみたいなやつ)。レスリー・マッコーエンはそのバンドのフロントマンだった。

その当時、文化放送の“電リク'76”とか“セイ!ヤング”では毎日のようにベイ・シティ・ローラーズの曲が流れていた。TVでも“ぎんざNOW!”の洋楽コーナーでベイ・シティ・ローラーズのPVが流れていた。同級生の女の子たちも、みんなベイ・シティ・ローラーズに夢中だった。“MUSIC LIFE”とか“ROCK SHOW”のグラビアを切り抜いて、クリアファイルに挟んで宝物のようにしていた(当時好きだった女の子はノートの隅に「レスリー好き」と書いていた)。

そんな時代だった——。

彼らのヒット曲はエアロスミスとかクイーンとかキッスの曲同様、今でも歌うことができる。アイドルバンドだったので音楽的な評価は驚くほど低いけれど、僕は今でも彼らの曲をよく聞く。青春に捧げるメロディー?  そうかもね。それにしても、70年代のTVやラジオの番組は「ヤング」だの「ナウ」だの、今見るとこっ恥ずかしい。

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