
90年代はHot Dog Press(講談社)という若者向け雑誌に、恋愛マニュアルを書きまくっていた。「クリスマスイヴに彼女と赤プリで過ごしたかったら、夏には予約を入れよう!」みたいなやつ(Z世代はそんなことしないらしい)。
恋愛マニュアル書くくらいだから、お前そこそこモテたんだよなと思った方。
そりゃあね。モテ期はありました。
高校時代(70年代後半)はまあまあモテてはいたけれど、ツッパリくん全盛時代(つまりは矢沢永吉がロールモデルになっていて、チェッカーズもアマチュア時代はリーゼントでドゥーワップやオールディーズを演奏していた)。すなわち、非ツッパリ系(特にクラシック聴いてるような)には冬の時代だった。
80年代に入るとすぐ、YUMINGが “SURF & SNOW” をローンチ。このアルバムが象徴するプチラグジュアリーな世界観が空気を変えた。雪が溶け出したのだ。
ツッパリくんたちはどっかに霧散し、丘サーファーがあちこちで増殖した。まわりの友達はみんな前髪を下ろし、Lightning Bolt のTシャツとかBoat House のトレーナーを着て、ファミリアやジェミニにキャリアを積んで、なんならサーフボードも積んで走ってた。
チェッカーズも両サイド刈り上げというヘアスタイルにカラフルなチェック柄のファッション。TVの中で人気者になった。あるいは、とんねるずのSAILORS(やがてGRASS MEN'S)。時代は軽薄短小。硬派→軟派。

(大学時代〜右のテレキャス持ちが本間)
はい、モテ期 season 1。大学時代(80年代前半)です。
1年生の時はみんなに「ひろむ〜」と呼ばれていた(この呼び捨てが重要)。
そして、2年生以降は後輩たちから「アニキ」と呼ばれていた。同じ学科だけではなく他学科や複数のサークルで「最近のひろむはさ〜」とか「アニキ、今日学校来てないでしょ」とか、知らない間に誰かが自分の噂をし始めるのがモテ期に入るポイントです。
学園祭のライヴに出たり、短編映画を撮ったり、同人誌に小説を書いたりすると、さらに勢いがつく感じです。
ファッションはDCブランド全盛だったけれど、あえて古着(写真のように)。
学校で毎日のようにピアノを弾いていると、後輩の女の子たちがよく声をかけてきた。
「アニキ、そこはこう弾くねん」

(編集者時代。05年に亡くなった林由美香とは仲がよくて、よく電話で相談に乗ってもらって「本間ちゃん軽いんだよ〜!」なんて怒られてた)
モテキ season 2。編集者・ライター時代(80年代後半〜90年代)です。
編集者をしながらもあちこちの雑誌で原稿を書いていたので、カメラマンさん、メイクさん、モデルさん、スタイリストさん、ライターさん、他誌の編集者さんが、知らないうちに「●●出版の本間さんって知ってる?」とか、「本間ちゃんと昨日飲んだよ〜」という噂をし始めると、やっぱりモテ期が来る。
これすなわち、中島みゆきが歌うところの「うかれ街あたりで名をあげる」(ナラティヴを作る)ということ。実際の本間がどうのというより、パブリックイメージが勝手にひとり歩きするのです(もちろん、モテるための基本スペック《チャラチャラする》を備えることは自明です)。
こうして、30歳半ばまでチャラチャラしていた😂

(90年代も終わりに近づくと、パソコン通信→インターネット、SNSのひな形もでき上がってきて、サイバー空間にうかれ街が出現するように)。
このDNAは息子が(あまねく!?)引き継いでくれてます。
いわゆるひとつの量子もつれです😀
実際にどんなふうにモテたのかは別の機会に。
あ、霧散したはずのツッパリくんDNAは、地方を中心にマイルドヤンキーくんとしてサヴァイヴした模様😎