1986年暮れ、某大手レコード会社のオーディションに“第三京浜” という曲でエントリーして不合格になった(合格したのは、ユニコーン、エレファントカシマシ)。
これがダメだったら就職しようと思っていたのだけれど、すぐに1987年がやってきた。
でも就職はしたくない、小説も書けない、音楽も作ることができない、というダークなやつに呑み込まれた。
おれって世の中に必要とされてない? と自問自答する日々だ。そんな時に描いたのがこの“1978”という絵だ。ほかにも何点か描いた(20点くらいかな)。
ただ不思議と、自分は天才だ、という意識だけは揺るぎなかった。これがなくなると、本間ひろむ が 本間ひろむ ではなくなってしまうんだ。
1988年が来ると、小さな出版社に就職した。その2年後、別の出版社に移って3年過ごした(編集者を5年やったことになる)。それから10年フリーライターとして過ごし、やっと最初の本が出て批評家になった(気づいたら2002年!!)。
最初に就職した出版社の元社長(当時は編集局長)は今でもご縁があり、新作を献本すると獺祭の純米吟醸を送ってくださる。その一升瓶を次に移った出版社の後輩が経営する店 想い出マグロ に持ち込んで飲む。人生おもしろいなぁと思うし、人のありがたみを感じる。
ちなみに、最初の出版社の後輩(大学の後輩でもある)には評論家の真鍋厚がいて、彼のパートーナーはノンフィクション作家の菅野久美子(彼女も大学の後輩)。去年一緒に飲んだ時、3人とも車谷長吉の愛読者だとわかって盛り上がった。今度、車谷の会を作ろうと思う。