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本間ひろむ オフィシャルブログ

戦メリ、黒テント、生意気ざかり

JAF Mate 2023年春号』に載っていた松任谷正隆の連載エッセイが面白かった。「幸宏が亡くなった」で始まるそのエッセイには、高橋幸宏の(若い頃の)生意気エピソードが語られていた。間を置かず他界した坂本龍一のことは夏号で触れるのかもしれないが(年4回の季刊なので多少のタイムラグがあるのは仕方がない)、実をいうと、坂本龍一も、高橋幸宏も、YMOも、さほどシンパシーは感じてない。生来の歌うたいなので、忌野清志郎佐野元春に仕事で会った時の方がテンション上がったな。

ただ、松任谷正隆のファッションや乗ってるクルマを小馬鹿にしていた高橋幸宏のように、大阪の芸大に通っていた我々もくそ生意気だった(このことは『日本のピアニスト』にも書いた)。『戦場のメリークリスマス』を新宿だか池袋だかのオールナイトの映画館で見たのもちょうどその頃だ。大学の後輩の谷崎テトラと彼の女友達の3人で見た。坂本龍一ご本人にも、90年代半ばのアースデイのイベントでちらっと会った(これも谷崎テトラがらみだ)。

戦場のメリークリスマス』のサントラ盤は、芸大生はみんな聞いていた。それも繰り返し聞いていた。ピアノ科の学生がポリーニショパンエチュード)を聞くように。ちょっと時期はずれるが、同じようにみんなが村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読んでいた。あの分厚い本をキャンパスで何度見かけたことか。映画を撮っていた連中は『天井桟敷の人々』だの『旅芸人の記録』だの騒いでいたし、芝居をやっていた連中は「スタニスラフスキーがおれを呼んでいる〜」とかいってた。「やっぱ、つかだよね!」という決まり文句もよく聞いたな(つかこうへいのことです)。

黒テントの大阪公演の手伝い(テントの設営から運営等を手伝ってバイト料の代わりに本公演をタダで見る)をしたのもその頃だった。芝居がはねたあとの舞台だか客席だかに車座になって、真ん中に一升瓶をどんと置いて劇団員の人たちと飲んだ。看板女優の金久美子の両隣に谷崎テトラと2人でちゃっかり坐ってね。久美子(くみじゃ)さんはこの芝居(ヴォイツェック)を最後に黒テントから新宿梁山泊へ移った。彼女の訃報を聞いてからもう20年くらいになるかな。

80年代前半はそんなふうだった。生意気ざかりでした。

 

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